自由研究は終わらない

個性とわかりにくさの境界線をさまよい歩くブログ。

やりたくなくなるくらいなら型なんか無視していいと思った話

こんにちは!元ベテランニート現役学生ブロガーの秋山健一です!

 

これを読んでいる人にお聞きしたいのですが、スポーツや勉強をしていて、ある程度固定化された「型」や「パターン」というものを意識したことはありませんか?

フォーマットとか形式とかいうものともほぼ同じですね。

 

ああいうものってあると作業がサクサク進むし、ある程度レベルになれば誰でも使えるようになって便利なんですけど、僕はあんまり好きじゃないんですよねー。

もう感覚的に合ってないっていうか。

 

型を覚えて実践するっていうのはすごく大事だと思うんですが、僕みたいな「型破りたがり屋さん」は、型を守ること自体がストレスになることもしばしばです。

 

でもそれって本末転倒じゃないですか?

少なくとも僕は、楽しいから始めて、もっと楽しむために道具として型を取り入れようと思っています。道具を使うことで楽しさが減ってしまったらそもそもの目的が果たせていないと思うんです。

 

今回はそんなお話です。

 

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……お気づきいただけただろうか?

今読んだ記事の導入に、大きな矛盾が含まれていることを。

 

ブログをよく読む人なら気づいたかもしれない。

上の導入で僕は型を使うのが嫌いだと言っておきながら、ブログでよく使われる導入のフォーマットを使用したのだ。

 

ああそうさ、確かに筆は早く進んださ、考える量が少ないからキーボード打つ手が止まることを知らなかったさ。まるで大阪〜京都間を走るJR西日本新快速列車のように止まることを知らなかったさ。分かる人すくねえなチクショウ!

 

でもダメなんすよー。「こう書くべし!」っていうレールがあったらそこを外れたくなっちゃう。レールの外側には何があるのか気になっちゃう。

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注:画像は本文と一切関係がありません

 

 

どんなものにも型とかテンプレートというものはある。

生産性を上げるためだったり、再現性を上げるためだったり、あるいは知らないうちに染み付いているだけだったり、とにかく何かを続けていくと基本のパターンやこうしたほうが効率的っていう仕組みが出来上がる。

 

だけどどうやら僕には、それが合わないらしい。

 

 

文章表現の新たな可能性を、誰も切り開いたことのない土地を、阿呆の新たな地平を、前人未到の境地を、庭先に転がった手つかずの大地を。

かっこよく言えば、そういうところへ行きたくなってしまう。お散歩のつもりでついつい出掛けたくなってしまう。

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注:写真が本文と関係あるかどうかは作者にもわかりません

 

 

今の僕の論理力とか言語力ではこんな感じで日本語にするしかないけど、本当はもっと面白く言いたい。誰にも真似のできない表現で、誰にも追いつけない鋭さで、でも衝撃だけは与えられるスケールで、面白くなりたい。

 

とりあえず、今日のところはそんなところです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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