自由研究は終わらない

個性とわかりにくさの境界線をさまよい歩くブログ。

障害ってどこから?〜世界がもし100人のウサイン・ボルトなら〜

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みなさんこんにちは!元ベテランニートの秋山健一です!

 

いやーしかしオリンピックやってますねー!

僕もリアルタイムは中々見られないですが、ニュースで追いかけてます。

 

ところでオリンピックに出るようなアスリートの方たちを見てると、昔から時々考えてしまうとある謎があるんです。

今回はその話をします。

 

題して、「障害ってどこからが障害なの?」です!

パッと見、重そうなテーマですが、こういう話を軽くできることが大事だと思うのでなるべく軽いテンションで話していきますねー!

 

障害の境界線はどこだ?

これを読んでいるみなさんにお聞きしたいのですが、障害者と健常者を分ける境界線ってどこにあると思いますか?

(「健常者」って言葉にも色々意見がありますが、わかりやすくするためにここでは使わせてもらいます)

 

先に僕の答えを言っちゃうと、そんなものないと僕は勝手に思っています。

 

それを説明するために1つ例え話をさせてください。

 

例えばある事故の話

ここに1人の人間がいたとして、その人が事故にあったとします。

もしもこの人が事故で片腕を失ったなら、もうそれはまちがいなく「障害者」のワクに入れられるでしょう。

 

しかし運良く怪我が軽くて指を一本失うだけで済んだとします。

おそらくこの人が障害者として扱われることはほぼないでしょう。

 

しかし、考えてみれば「体の一部を失っている」ということは同じなのになぜ?

なぜ障害者とそうでないものという違いが生まれるのでしょう?

 

どこからどこまでが障害者なのか?

失った身体の大きさを基準にするとしても、指なら何本から?腕ならどこから?

日常生活に支障が出るか出ないかを基準にするなら、どこからが支障が出ると言えるのか?片腕では日常生活を送れないのか?

 

考えれば考えるほど、キリがありません。

 

 

ウサイン・ボルトって知ってる?

さて!話が重めなので視点を変えてポップに行きましょう!

 

突然ですがみなさんはウサイン・ボルトという人を知っていますか?

 

知らない人の方が少ないと思いますが、人類最速の男と呼ばれるジャマイカ出身の陸上短距離選手です。100メートルを9秒58で走り、身長は196センチの体格です。

 

今まさにオリンピックをやっているところなので、最近テレビで観た方もいるかもしれません。

 

あの人は本当にすごいですよね。オリンピックの決勝っていう本来なら超人だけが立つことを許されるステージで、その超人たちの中でもズバ抜けてます。もうライバルとか見当たらないですもん。

 

そしてここでちょっと考えて欲しいことがあります。

 

もしも自分の周りの人間が、全員ウサイン・ボルトだったら。そしてその中で、あなただけが今のあなたのままであったら。一体何がどうなるでしょう?

 

 

世界がもし100人のボルトなら

とりあえず僕がその世界に生きているとして考えてみます。

 

僕は25歳男性で、身長169センチ体重56キロ、スポーツ経験は特にありませんが運動能力や運動神経は特に悪い方ではなかったため、スポーツ関係で困ることはありませんでした。

多分100メートル走は高校の時で14秒台だったと思います。

 

しかし周りは僕とは生きている次元が違います。何しろ身長196センチで100メートル9秒58です。

 

おそらく電車では顔をみぞおちあたりで挟まれ、道を歩けば散歩中のおじさんに追い抜かれるでしょう。

 

そしてその世界では、僕はおそらく「障害者」と呼ばれていると思います。

 

国から認定がもらえるかはさておいて、仲間内での扱いとかはたぶんそうですよ!

だって周りが全員ボルトなんですよ!対等に遊べるわけないじゃないですか!

 

学校で休み時間に遊ぶとして、まず鬼ごっこは鬼になった子ボルトから逃げ切れる気が全くしません。

ドッジーボールでも子ボルトのボールを避けられる想像ができません。

バスケでは少年ボルトからパスを渡してもらえるかすら怪しいです。

 

完全に仲間内では

「お前の運動音痴っぷりヤバwww」

「マジどっかケガでもしたん?www」

「つーかちっさすぎ!ちゃんとメシ食え!」

とか言われているはずです!!

 

 

障害者と健常者を分けるものは

つまり何が言いたいかというと

今は健常者とされている人も、環境が変われば障害者扱いになる

ってこと!

 

そして、そうだというのなら

健常者と障害者の間に明確な境界線などない

ということです!!

 

僕らはついつい障害者を見て、自分と違う存在だと感じることがあると思います。

しかしどんな障害者も、そしてどんなスポーツエリートも、今の自分と地続きの存在なのだと僕は思います。

 

とりあえずこれが、今考えている僕の結論です。

 

ここまで読んでくださってありがとうございました!

またねー!

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