自由研究は終わらない

個性とわかりにくさの境界線をさまよい歩くブログ。

キャリア11年のベテランニートが1ヶ月で英語の点数を150上げて中堅私大に4浪合格する話

この物語は全て実話である

あれは2012年の12月、山梨県の実家にいた頃の僕は、どこに出しても恥ずかしくない正真正銘ガチガチのマジモンのニートをやっていた。

 

そんな状況に至った経緯を詳細に記せば、それだけで400字詰めの原稿用紙が何枚も埋まってしまうので、また別の記事に書くとしよう。

一言でざっくり説明すれば、「なんとかなると思っていた」からである。

 

1日の大半を本とマンガとテレビとラジオに費やし、一年の大半をぼんやりと浪費しながらも、まだなんとかなると、自分にはいつか活路が開けると思っていた。

それこそ、雷に打たれるように運命的で劇的な出来事がいつか自分の身に起こるはずだと、水の染みた高野豆腐のような硬そうで本当は柔らかい信念を持っていたのである。

 

自覚は一瞬、後悔は永遠

ところがいつまでたってもその時は訪れず、おかしいなーなんでかなーと首をかしげていた師走のある日、両親とのたわいもない会話から衝撃的な事実を知ることとなる。

その時両親が話してくれたのは、2人が亡くなった後の僕の人生プランだった。

 

何歳くらいまでなら自分たちは働けるから、僕には何歳くらいまでに自活できるようになってほしい、そういうわけだから今の暮らしは何歳くらいまでがタイムリミットだ。

そういった話を、確かニュースでも見ながら雑談の途中でホロリと口にしたのだった。

 

その瞬間僕は気づいた「あ、俺、死ぬんだ」

 

いや、冗談を言ってるわけではないです。本当にそう思ったんです。少しだけ聞いてください。

ほら、なんかこうあるじゃないですか?知識として人はいつか死ぬってわかってても、じゃあ「自分が死ぬことを感覚としていつも持っているか?」って言われるとあんまりそうじゃないじゃないですか?

それこそ身内が亡くなった時くらいにようやく身にしみてわかるものでしょう?

そんな感じのがその瞬間に来たんですよ。

 

生活音まで聞き取れそうなほど現実的な未来の情景が、あまりにも自然に2人の口からこぼれたことで、僕の中に今までなかった未来の姿絵がありありと浮かんだ。それは当然のように「僕も両親もいつか死ぬ」という誰でも知っている知識を、絵の中に浮かび上がらせた。

 

その時から、僕にはそれまでの数年間への後悔しかなかった。

自分は何をやってたんだ、これからどうするんだという想いばかりが頭をめぐり、思考の渦はぐるぐると回り続けた。

あの時の僕の頭に割り箸を差し込むことができたなら、綿菓子のように想いが箸に絡みついて、苦い後悔の綿菓子ができていたことだろう。

 

正直ガチで体調が悪くなって2、3日寝込んだ。

 

それでもまあ、いつまでも寝ているわけにはいかない。

とりあえずもうここにはいられない。

そう思って現実的な行き先を探した。

 

やっぱ大学行こうぜ!

その後、両親や以前お世話になっていた家庭教師の先生と相談し、特にやりたいことがないのなら大学へ行って経験を積むのが一番いいという結論を出した。

 

志望校は京都に住みたいという昔からの夢があったので、京都にキャンパスのある立命館同志社にした。というか前々から大学に行くならここだなと思っていた。

今通っている龍谷大学は正直いうと滑り止めだった。

 

その時すでに12月の終わり頃、受験までは正味1ヶ月強しかないが、まあやるしかないわできるだけ精一杯力の限りどうにかこうにかがんばろうと覚悟を決めたのだった。

 

勉強ってやれば上がる!

そこからの追い上げは凄まじかった。睡眠や風呂などの生活に必要な時間以外はほどんとを勉強に費やし、その結果、大学過去問の点数はうなぎ上りに上がっていった。

 

その追い上げたるや、TBSオールスター感謝祭で赤坂五丁目ミニマラソンにゲスト出場していたエリック・ワイナイナ選手もかくやという追い上げっぷりであった。

 

トイレの壁に英語単語カードを所狭しと貼りつけ、寝る前には世界史の一問一答を解き、1日中掘りごたつに入って遠赤外線ヒーターの熱波を背中に受けながら勉強していた。

 

多分1日12時間〜15時間はしていたと思う。今やれって言われてもきびしい。かなりきびしい。

 

ともかくその甲斐あって、最初の頃は滑り止めの龍谷大学の過去問で悪い時は200点中20数点だった英語の点数が、受験直前には170点を超えるまでになっていたのだった。

 

しかし志望校には落ちる

とはいえ、全国クラスの難関校である立命館同志社にはやはり届かず、その時の受験は全て失敗に終わった。そして滑り止めで受けていた龍谷大学に受かり、5浪すべきか悩んだ末に「もうここにいるべきではない」ということを思い出し、入学を決めた。

 

「もっと早く勉強を始めていれば」ということはもちろん思ったものの、それを言い出すときりがないのでさっさと切り替えることにした。

 

大学に入ってからももちろんそれなりにいろんなことがあったが、それはまた別の記事に書くとしよう。

 

まとめ

ここまで読んでもらってありがとうございました!

かなーり個人的な内容をつらつら書いてきましたが、少しでも楽しんでもらえたら幸いです!

 

いやー思い込みって怖いですね!あの時の両親の話がなければ未だに実家でニートをしてたかもしれません!

まあ逆を言えば何歳からでも再スタートはできるってことですね!またそういう視点も記事にしてみます!

 

ちなみにいつもはブログの文をですます調で書いているのですが、この記事は内容的にである調がしっくりきたのでこちらで書いてみました!

 

それでは!またねー!

 

 

 

 

 

 

 

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