アソビクラフト

生きることは作ること。作ることは遊ぶこと。

有名になりたいわけじゃないけど表現活動はしたい問題

どうもこんにちは。秋山健一です。

 

最近色々と思うことがあって、自分の悩みを整理するためにもこのブログエントリを書いています。

ざっくりいうと人生の方向性に悩んでいるよって感じでしょうか。

 

悩んでることを書き連ねるとこんな感じ

 

  • 表現活動がしたい
  • 表現するからには多くの人に見て欲しい
  • でも有名になりたいわけではない
  • 有名になることに抵抗はない
  • 生活しづらくなるのは嫌
  • ペンネームと本名の使い分けができるほど器用じゃない
  • 周囲の人に迷惑をかけたくはない

 

ざっと書くとこんな感じですね。詳しく説明します。

 

・表現活動がしたい

これはずっと自分の中でグツグツ煮えていることで、多分生きている限りつきまとう問題です。

僕はどこへ行っても何をしてても表現するとかものを作るとかから逃れられないような気がします。それはかっこつけて言っているわけでもなく、(いや少しはカッコつけてますけど)もうどうしようもない性癖みたいなものとしてです。

 

例えば何かの物事についての説明文を書くにしても、わかりやすい文章よりも面白い文章を優先してしまう。伝わりやすい表現を書いた時より自分にしか書けない表現をかんた時の方がテンションが上がってしまう。

 

そういう魂にこびりついた汚れみたいなものが僕の中にあるんだと思います。

 

多分これはどこまでいっても逃れられなくて、自分が作ることに意味があるものを、自分が今ここに生きたからこできたものを残したくなってしまう。

そういう性癖があるんだと思います。

 

・表現するからには多くの人に見て欲しい

そして次にくる悩みがこれです。

表現するだけならやまにこもって作品だけ作ってればいいのですが、どうしても作ったからには見て欲しくなる。これが俺の作品じゃいと大通りに掲げたくなってしまう。誰にも見えない個人の日記じゃなく、誰かに触れる可能性のあるネットにあげたくなる。せめて人の見えるところに置かなければ気が済まなくなる。

理由はわかりませんがそういうところが僕にはあります。

 

・でも有名になりたいわけではない

そしてこれ。特にビッグになってやるぜとか、俺の名を満天下に知らしめてやるぜ的な気概はありません。作品が有名になるのは大いに結構だけど、自分の名前が有名になったからと言ってそんなに嬉しくはない。

ただ自分が有名になることによって作品が生み出しやすくなるとは思うので、それはありかなと思います。

 

・有名になることに抵抗はない

ほんでこれ。有名になることに抵抗はないんです。今もスタンスとしては実名顔出しでブログをやっていますし、それで街中で声をかけられることがあっても別にああそうですかくらい。あからさまな迷惑をかけられることがない限り何とも思わないです。

 

・生活しづらくなるのは嫌

そして次がこれですね。よく有名になった後の問題としてプライバシーがなくなるとか言いますが、それはどどちらかというと嫌かなーと思います。でもそれも「どちらかというと嫌」というレベルで「絶対嫌」というほどではないです。

日常生活が送れなくなるのは困るけど、まあそうなったらそうなったでしょうがないかなくらい。

 

 

・ペンネームと本名の使い分けができるほど器用じゃない

じゃあハンドルネーム使って本名非公開で、顔出しもなしでやればいいじゃん。と思うかもしれませんが、なんかそれは自分の中で強烈な違和感があるんです。

ちょっとそれも考えてみたことがあるのですが、本名非公開で書いていると少しずつ自分の人格とハンドルネームの人格が乖離して、だんだん自分の中でわけがわからなくなりそうなんですよね。

 

まだあまり日常的に使わない作品作りのための名前、例えば僕が小説を書くとして、その時のペンネームみたいなものだったら自分の中で消化ができるんです。

ただ更新頻度の高いブログのようなもので、本名非公開でやっていると

 

おつかれっすー!( ^ω^ )今日も元気にお送りしていきましょ!♪

 

みたいなことを言い出しそうで怖い。

お前は誰だ。どこからきた。お前は俺じゃない。うわあああああああああー!

 

みたいなことになるのがめちゃくちゃ鮮明に想像できます。

 

 

・周囲の人に迷惑をかけたくはない

そして最後がこれですね。

どういうことかというと、炎上リスクとか、アンチとかそういうことです。

 

僕はいま普通に会社員をしているのですが、例えば僕のブログが何かのきっかけで炎上したら、会社にも迷惑がかかるのかなあと思ったり。

会社の人はこのブログの存在を知っているので、会社バレとかは考えなくていいんですけど、でもいい人たちだから迷惑はかけたくない。

 

たとえばこのブログが有名になってアンチの人ができたりしたら、アンチの人が僕の在籍している会社を調べて迷惑電話をかけたりするのかなーと思ったり。

 

99%考えすぎなんでしょうが、そういうことを思ったりします。

会社の人たちへ、もしそうなってしまったら本気でごめんなさい。

 

最後に

頭の中のもやもやしていることがかけてとりあえずよかったです。ここまで読んできた人はありがとうございました。

まあ大前提、僕が文章をつらつら書いていたところで、有名にはならねーよとかのツッコミがあるとは思うんですが、それを踏まえた上で悩んでしまうなーという話でした。

 

いまはまだこういう悩みを抱えていますが、そのうち

( ^ω^ )「あ、ペンネームで顔出しNGにしたんでよろしく!」

とか言い出すかもしれませんし

( ^ω^ )「実名顔出しで生きるの気持ちいー!」

とか言い出すかもしれません。

悩みは継続中です。

 

 

ここまでお付き合いありがとうございました!

それではまた!

ブログの方向性を変えて自分のためだけに文章を書きます。

もうやだ。役立つ記事書きたくない。

ここ2年近くなんだかんだブログを続けていて、定期的に習慣的に間断なく隙間なく勤勉に忠実にブログを更新するということが全くできていませんでした。

 

その度に悩み苦しみ「もしも僕が古き良き私小説家であったら樫の木でできた柱に頭をぶつけて苦しんでいるのだかなあ」という思いを胸のうちでほくほくと膨らませてはカフェで漫画を読んでいました。

 

そしてその理由を「考える人」のポーズをトイレで取りつつ考え、試行錯誤の暗中模索が十中八九で行き止まりの看板の気配を感じ取り「クンクン、ああ!行き止まりの匂いがする!」とパワー系頭弱い純粋ストーリーの中盤で悪い奴に騙されて自覚なく悪事を働くキャラのようなことを言い出したました。

 

さてここまで読んでいただいて気づかれたとおもいますが、僕には「誰かの役に立つ文章を書く才能」がありません。

 

Google検索窓を名乗る山の関所の役人に単語という手形を見せれば通してくれる道の先には、必ずサーチエンジンに最適化されたサイトやブログの峠の茶屋おじちゃんがおります。

その人たちがいうのです。正確には過去の僕はそういう言葉ばかりを選んで聞いてきたのです。

「人の役に立つ記事を書こう」「人に見つからないコンテンツに意味はない」「体系化されたわかりやすい記事を書こう」「知識を価値に変えよう」

 

 

 

知るかよおおおおおおお!

楽しくねえんだよおおお!

誰かのために文章を書くのはそれはそれは素晴らしいことできっと何百年後かには男装した麗しき女性たちがミュージカルにして熱狂的なファンを虜にするくらい素晴らしいことでしょう。「舞台 サーチエンジンオーガニゼーション」。

 

 

しかし僕にはもう絶望的に向いていなかった。街灯ひとつない夜の田舎までいつも楽しい話を聞かせてくれる深夜ラジが突然怖い話をし始めた時くらいの絶望具合出向いていなかった。

 

 

そんなわけでこれからは。

自分のためだけに、自分が楽しむためだけにブログを書きます。

でもたまーには「えーでもやっぱーー誰かの役に立つ記事もー少しは書いてみよっかなーって。自然検索流入も欲しいしー」みたいな感じで僕の中の浮気性ギャルがぼやくかもしれません。

その時は宜しくお願いします。

 

 

そんなこんなでここまで読んでいただいてありがとうございました!

わかりやすくて構造的な文章を書きたくなくなる時がある

ブログを書いていれば嫌でも目に入る書くためのノウハウやハウツーがあります。

 

それを適切に使えば伝わりやすい文章が誰にでもある程度かけるようになります。

 

とても便利です。

 

とても便利ですが、時々それらをかなぐり捨てたくなります。

 

 

タイトルに見出しに本文に箇条書きに記事リンクにアフィリエイトにイメージ画像に、段落分けにカテゴリ設定に三段論法に結論の先出しに、冒頭の名乗り上げに問題の共有にメリットの提示に、具体例化に数字化に制限設定にパワーワードの設定に、どうもこんにちは、突然ですが、したことはないですか?僕も昔、でもこれをしたら、その方法を、まず1つめは、まとめると。

 

 

それら全部を価値あるものだと認めつつ。それでもそれでも。それ以外を、自分しか書けない何かを、どうしても書けない何かを、書きたくなることがあります。

 

 

そういうものをいつか書きたいです。

コミュ力がある方でも「自分はコミュ障でオタク気質」と割り切った方がいいこともある

どうもこんにちは。初対面の人に話しかけることはできても会話が続かない秋山健一です。

 

 

コミュ力があるという甘い響き

今現在の社会ではやたらとコミュニケーション能力に重きを置きがちです。就活や学校生活、社会生活でもとりあえずそれさえあれば生きていけるような気さえします。

僕は自分のことを、ヒッチハイクをしたりポケモンGOでナンパをしたりしたこともあるので他人とコミュニケーションを取るのがぼちぼち得意な方じゃ無いかなと思っていました。

しかしこれがある意味では罠になることもあるのです。僕の場合、「俺コミュ力そこそこあるしコミュ力鍛えよう」とつい思ってしまうことが罠でした。

 

 

 

コミュ力が高い人はそもそもコミュニケーションが好きな人

ここからは確定事実ではなく僕の持論になりますが、そもそもコミュニケーション能力のある人は「コミュニケーションが好きな人」であり、言い換えれば「コミュニケーションで充電できる人」のことなのです。

 

そういった人たちは飲み会やパーティーなど人と関わる場所でエネルギーを充填することができます。コミュ力のない人が飲み会など人と関わる場に来るとエネルギーを消耗するのとは対照的ですね。

 

そして僕はどうかというと「コミュニケーションが好きでも嫌いでもない」というレベルなのです。

特に消耗はしないけど、別に充填もされない。というレベル。

 

 

 

 

好きな人には勝てない

そして冒頭の話に戻りますが、僕はコミュ力を鍛えるため学生時代に海外インターンに参加したりヒッチハイクをしたり、それなりに行動には移して来たつもりです。

しかしそこで思ったのは「人と喋るの楽しいけど…なんか違う!」という感覚。喋るのが楽しいは楽しいのですが、本を読んだり映画を見たり何かを作ったりしている時の方がだいたい楽しいのです!

 

そしてさらに厳しいのは、人と関わることがそもそも好きなコミュ力高い人たちには逆立ちしても勝てないという現実でした。

 

だってあたりまえですよ。そのひとたちはもうコミュニケーション自体が充電だからずっとやってられるんですよ。長い目で見たら勝てるわけないですよ。

燃料で動く船がクジラと「どっちが長い距離を進めるか競争」をしているようなもんです。

 

 

 

 

コミュ力で勝負するべきじゃ無い

という訳で思ったのは「コミュ力で勝負するべきじゃないな」でした。世間的に評価が高いスキルだからと言っても、自分より上な人がゴロゴロいるのでは勝負のポイントにはなりません。せいぜい足を引っ張らない程度のスキルを身につけておけば十分です。

 

 

最後に

そんな訳でこれからは「コミュ力」では勝負しないことにします。これから先僕が高めるとしたら発想力とか文章力とか発想を形にする力とかですね。

自分の武器を手にいれるためにゆるゆる頑張ります。

 

ではまたー!

 

 

サービス精神があり過ぎるとエンタメで自分を飾る病になるんじゃないかと思った

どうもこんにちは。元ベテランニート会社員の秋山です。

 

サービス精神があるのはいいことと思われがちなんですが、いき過ぎると「なんでもコンテンツにしないと気が済まない病」に陥るんじゃないかな?と思ったので自分の中で整理するためにもこの記事を書いています。

 

 

エンタメで自分を飾るってどういうこと?

どういうことかというと、例えば事務連絡とか、会社内で人に見せる日報とか、そういう人に触れることのある場所において過剰なまでに面白さや楽しさを提供してしまうこと。つまりその必要がないような場所でもコンテンツやエンターテイメントにしてしまうことです。

事務連絡用の掲示板に四コママンガを書いてみたり、業務日報に笑える一言を書いてみたり。それ自体はとてもいいことなのですが、いき過ぎると自分を見失うことにもつながりかねないとおもうんです。

 

 

 

そうおもったきっかけ

それに気づいたのはユーチューブで 「匿名ラジオ」というネットラジオ番組を聞いたのがきっかけです。

匿名ラジオ/#24「おたよりコーナーと両津勘吉のモノマネ」 - YouTube

 大人気ブロガーのアルファさんが出ているので知っている人もいるかもしれませんね。

 

 

アルファさんといえば異次元の発想力と驚異的な行動力によって生み出される思考の限界を突き抜けたパラレルワールドのような記事を書く超絶面白ライターです。そんな人がラジオの中で指摘をうけたのがが「エンタメで武装しすぎ」というツッコミ。

 

 

詳細は省きますが、先ほど書いたような内容です。人に面白さを提供することで自分の内面を曝け出さないようにしているんですね。なんだか太宰治の『人間失格』の主人公を思い出してきました。

 

 

 ほんでなんでこの記事をぼくが書いたかっていうと、僕にも似たようなところがあるからです。アルファさんと比べるのも次元が違いすぎて失礼ですけど、気がつくと「あれ?みんななんでそんなリラックスした感じでやってんの?」みたいに思うことがあります。

 

 

たとえば僕いる会社では社員の何人かで曜日ごとに企業ホームページのブログを担当しています。そして僕もそのブログ担当の1人なのですが、最近ふと自分のブログ記事と同僚のブログ記事を比べてみると、もう明らかに違うんです。

 

 

どのくらい違うかというとツイッターとインスタくらい違います。まあもっとわかりやすくいうと、僕の記事は「◯◯な人におすすめな△△のご紹介」とか「もっと◯◯するために必要なこと3つ」などのどこかのキュレーション記事みたいなタイトルばかりになっていたんです。

 

 

まあ僕が基本的にウェブが好きでそういった記事をよく読んでいたというのもあると思いますが、原因はそれだけではないでしょう。

 

 

そうなってしまう理由は?

今のところ原因として考えているのは2つ

  • サービス精神が豊富過ぎる
  • 自分をさらけ出す自信がない

ということ。

 

サービス精神の方はまあいいとして、自信がない方はかなり問題です。そういえば行動力はある方なのにやたらとくよくよしてる気がする。

 

 

解決策は?

ぶっちゃけこれだって言える解決策は浮かんでないです。尊敬する人のブログ記事を読んだり、身近な人に聞く限り

  • いろんな経験をしていろんな価値観を得よう

ていうのが一番いいのかなーと、今のところは思っています。

まあブログ書いてればそのうちネタがなくなって嫌でも何かしますよ。笑

 

 

 

 

 

最後に

というわけでこれから役立つことも立たないことも書いていくしやっていくつもりです。ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

 

ではまたー!

 

 

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